ぷつん、ぷつん、ぷつん。
もうかれこれ30分だ。糸切りばさみの音が絶え間なく続いている。左手の親指と人差し指がすっと細い赤を伸ばし、ゆるく力をこめた右手の中のはさみが、それを断ち切る。手元を見つめる紗江の目は真剣そのもので、どこか狂気じみていた。だけど、何十回も繰り返されているその手順を、飽きもせずじっと眺めている僕も、たいがい狂っているかもしれない。
いつもそうだ。紗江のそばに居ると、彼女の狂気に侵されていく。なんとか正気を保ちたくて、紗江の手が糸を断った瞬間に滑り込むように訊いた。
「なにしてんの?」
「赤い糸、つくってるの」
見てわからない?言外にそんなニュアンスを含んだ紗江の、冷静そのものな声。ああ狂ってる、しかも重症だ。
「ねえ今度はなにがあったの?」
「べつになにもないわ」
嘘をつくとき、紗江の声は硝子みたいに冷たく透き通る。
「じゃあなんでそんなたくさんの赤い糸、つくってるの」
ぷつ、紗江の手が止まる。もう数え切れないくらい大量な赤い糸の何本目かが、その手から滑り落ちて、
「たくさんあればどれかは本物になるかもしれないじゃない」
どこか逸脱したことばを紗江はつむぐ。
「贋物の赤い糸なんてあるの?」
「あるわよ」
ざくっ。畳に突き立てられた糸切りばさみ。
「たくさんあるわ」
微かに震えるちいさなはさみ。
従姉の紗江は男に振られるたびに僕のそばに来て泣く。十も年下の僕に、彼女のこころを癒すちからがあるなんて到底思えないのに、紗江は必ず僕のそばで泣く。五年前、両親を亡くした僕がこの家に引き取られたときからずっと。
昨夜、紗江はいつものように僕の部屋に勝手に入ってきて、既に寝入っていた僕の布団に潜り込み、盛大に泣いた。
布団の中に響くその泣き声があまりにうるさくて僕は目を醒まし、仕方なく、大声で泣き喚く紗江を胸に抱きこんで、赤ん坊をあやすみたいにぽんぽんと背中を叩いてやった。
「泣くなよ」
ためしに呟いてみた言葉もむなしく宙に浮いた。
どうすれば紗江が泣き止むか、なんて僕は知らない。そんな方法がこの世にあるのかさえよくわからない。だって僕はまだ十四なのだ。
「紗江」
なにもできない僕には全身で彼女を抱きしめるしかない。
僕の体温が紗江の凍えるこころをあたためて、溢れる涙を蒸発させることができたらいいと思った。
でもやっぱり僕は無力で、紗江は一晩中泣いていた。
空が白み始めた頃、紗江は僕の布団からそろそろと抜け出し、泣き腫らした目のまま、たくさんの赤い糸を作り始めた。無力な僕は、その様子をただ見つめるだけ。
「あのひとは、あたしの何が欲しかったのかしら?」
ぷつん、また赤い糸が増える。早朝の澄んだ空気にはらりと赤が舞う。
「あたしと過ごした時間は無駄だった、てあのひとはそう言うのよ」
ぷつん、ぷつん。
「幸せだったのはあたしだけなんだわ」
散らばる赤い糸。すべて紗江がつくりだした糸。おびただしい赤、赤、赤。
だけどこれはぜんぶ贋物だ。紗江のかなしみが作りだした偽りの赤い糸なのだ。愚かな紗江。どんなにたくさん作っても、ぜんぶ贋物じゃ意味はないのに。
ぷつん、ぷつん。
糸を断つ音を聞きながら、僕は手近にあった赤を自分の小指にまきつけ、結んだ。
「和嗣、なにしてるの?」
こちらを見た紗江の右手をつかむ。はさみを奪い、その小指に糸の片端を巻きつけて結ぶ。
「ねえ紗江、これは本物かな」
僕ならあなたのすべてを欲しがってあげられるよ。
細い赤で繋がったふたつの指がこんなに嬉しいなんて、やっぱり僕も紗江と同様、狂っているみたいだ。