サイダーぶくぶく







「運命なんて言い訳に過ぎないさ」
透明なサイダーをぶくぶくしながら、朝倉は言った。
「良いときも悪いときも、ひとは運命のせいにするんだよ。しょせん運命なんて、アレだよ、まやかし?」
そんなことおまえに言われて、僕はなんていえばいいのか。 かろうじて出たのは、意味が有るのか無いのかよくわからない問いかけ。
「じゃあなんで人は運命について語るんだよ」
朝倉の返事は無い。


夏の水曜日、午後二時。
朝倉以外に客のいない寂びれた喫茶店は、差し込む陽射しも冷房で冷えた空気も漂う時間も、すべてが怠惰だ。有線で流れる曲まで少し前にはやった日本のポップスで、だるい雰囲気を強調している。
しかも朝倉はさっきからずっと、サイダーをストローでぶくぶくさせるという意味の無い行為を、やけに真剣な面持ちで行い続けている。そのぶくぶくはとどまることを知らず、ぶくぶくぶくぶく、ずっと続いている。むしろこのだるい雰囲気の八割くらいはこいつのせいじゃないのか。ぶくぶくぶくぶくとさっきからなんなのだこの男は。
「朝倉?」
朝倉は何も言わない。(ぶくぶくもやまない)
僕は諦めて、洗いあげたグラスをいかに綺麗に磨き上げるか、という意味の有る行為に集中することにした。
ふきんと硝子の擦れあう音はいい。きゅ、きゅ、というきちんとした響きは、怠惰な空気を引き締めてくれる気がする。


音を立ててグラスを磨いていると、ぶくぶくぶくぶ、不意に朝倉の立てるノイズが止まった。僕はそっと顔を上げる。ストローから口を離した朝倉が鈍く光る瞳で僕をじっと見つめていた。
「それは、人が意味を求めずにいられないイキモノだからだよ」
「…え」
一瞬なにを言われているのかわからなくて、反応するまでにすこし時間がかかってしまった。
もしかしてさっきの答えなのか。こいつ、さっきから何分経ってると思ってるんだ。5分は経ったぞ。その間ずっと考えてたというのか。ぶくぶくやりながら?それで、それだけ考えた末の答えがその一言なのか。馬鹿か。馬鹿なのかこいつは。
「ああ〜っと、それはつまり、運命は意味づけの手段ってことか?」
「それ以外に何があるってんだ」
これだから高卒フリーターは、と吐き捨てて、朝倉はまたぶくぶくっとした。大学生のくせに延々とサイダーをぶくぶくさせてる馬鹿よりは僕のほうが絶対マシだろ。
「じゃあ運命は存在しないのか」
「だからさっきから言ってんじゃん。あるわけないよ、そんなもん。
だいたいなんで運命が必要なんだよ。偶然と必然で十分じゃないか。意味わかんねーよ」
それはおまえがロマンの欠片もない人間だからだと思う、とこっそり僕は思う。小難しいことばかり言いやがって、なんだかんだでお子様のくせに。
(なんせサイダーぶくぶくやってるくらいだから)


朝倉は再びサイダーをぶくぶくやりはじめた。
いい加減サイダーを没収したくなってきたけど、バイト店員がお客様の商品取り上げるなんてできるはずがない。僕はここのバイトを続けたい。店長はサボってばかりだけど
(ちなみに今も店を僕だけに任せてパチンコに行きやがった。だから僕と朝倉はふたりきりなのだ)良い人だし、なによりこの店は居心地がいい。だからなんだかんだで4年もこの店で働いてる。
用も無いのに入り浸ってる朝倉もおそらく同じなのだろう。初めて朝倉と会ったのだって、この店だ。


あの日、よく晴れた空はサイダーみたいに澄んでいた。僕は入学式をさぼってこの店に来た。店長は笑って言った。
「なんだ、おまえもさぼりか」
「も」てなんだよと思いつつ首をめぐらした僕の目に飛び込んできたのは、僕と同じ真新しい黒の学生服を着て、窓際の椅子にもたれかかるようにして座り、外を眺めている朝倉だった。
鼻筋の通った面長の横顔、黒縁の眼鏡の奥の瞳はのどかな春空を見つめているにもかかわらず、鋭利な刃物のような光を帯びていた。すべての欺瞞や虚偽や表層を暴くような瞳だった。
吸い寄せられるように僕は朝倉の斜め向かいの椅子に座った。座ったものの、どうすればいいのかわからなくて黙りこくっている僕を朝倉はちらっと見て、口を開いた。
「おまえ、桜ついてる」
僕の髪に向かってすっと伸ばされた腕。あまりに突然過ぎてよけることができなかった。
「ほら」
朝倉の指先からひらり、と零れた花びらは、音も立てずに、朝倉が飲んでいたサイダーの水面に落ちた。


あの瞬間に僕はこの男に囚われてしまった。朝倉の存在は、水面に落ちた花びらのようにぴたりと、僕のこころに着水した。
まるで、あらかじめそうなることが決まっていたみたいに。
(そういうのを運命っていうんじゃないのか?)


しばらく放っておいたらとうとう朝倉がぶくぶくをやめた。やっと飽きたか、と僕が内心ほっとした瞬間、サイダーをちゅうう、と飲んだ朝倉は開口一番こう言いやがった。
「新田、サイダーぬるい」
かたん、と磨き終えたグラスを置いて、僕はためいきをつく。
「出したときはぬるくなかった。おまえがぶくぶくぶくぶくしてるからだろ」
朝倉はつまらなそうに唇を尖らせた。はあ、なんで僕はこんなヤツが好きなんだろう。虚しくなる。
なんであのとき、運命だと思ったんだろう。
「やっぱ運命なんてないのかな」
蛇口からしたたる雫みたいに、ぽとり、と漏れた言葉。
「うん、ないない」
ひらひらと手を振る朝倉のサイダーはもう底をついていて、今度はほとんど液体のなくなったグラスの底をストローで吸い、じゅるじゅるといわせている。
ああもう本当になんなんだこいつは。


「僕は運命ってあってもいいと思うけど」
朝倉から空っぽになったグラスを取り上げて、流し台に置き、水道の蛇口をひねる。朝倉はストローをくわえたまま、馬鹿にしたように笑う。
「女みたいなこというなぁ、おまえ」
うるさい、笑うな。僕は苛々した気持ちのまま、だけど丁寧に朝倉が使ったグラスを洗う。
どうせ僕の片思いなのだ。馬鹿にするならすればいい。僕だけは運命だと思い込んでやる。
目の前で機嫌よく笑うこの男に出会うために生まれ、この男と同じ時間を過ごすために生きているのだと思い込んでやる…なんて、僕もたいがい馬鹿だ。 なんでこんな男に。


無性に悔しくて、なんだかサイダーをぶくぶくさせたくなった。朝倉みたいに、馬鹿みたいに無心に。
花びらの浮かぶ静かな水面を乱すように。














言葉には出せなくても想い続けてやる。そんな決意。









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