ハタチになった日に







本音をぶつけ合うような諍いをしたことがなかった。一度として。だってそれを言ってしまえば、何もかもがダメになる。黙っていればそばにいられるのなら、耐えていればこのままでいられるのなら、いくらだってそうする。4年間ずっとそうやってきた。それで正解だと思っていた。
だけどもうだめなのだ。黙っているのも、耐えているのも、全部、全部、苦しいのだ。僕は耐えられなくなっている。朝倉が風鈴と付き合うようになってから、僕はずっと苦しいままだ。欲望を覆い隠して友達の関係を続けることはできた僕も、朝倉が誰かを愛して、自分以外の居場所をつくることには耐えられなかったというわけだ。こんな簡単なことにも気付いていなかっただなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。
わかっていたのに。
他人を自分のものにするなんて不可能だということくらい、わかっていたのに。




「ん」
ずいっと出されたグラスには、細かい泡をいくつも立てている透明なサイダーがなみなみと注がれている。さっき僕が朝倉のために用意したものだ。10月も半ばを過ぎると、ただでさえ客の少ないこの店でサイダーを注文するのは、この男か子どもくらいだ。
「なんだよ」
何か文句をつけるつもりだと察して朝倉を睨むと、逆に、馬鹿にしたような目で見られた。
「ハタチおめでとう、だよ」
「は?」
「今日、おまえの誕生日」
単純に驚いた。朝倉は友人の誕生日とかをよく覚えているタイプの人間じゃない。だいたい、周りが言ってるのを見て思い出すヤツだ。高校を卒業した今では、僕の誕生日を指摘するような人なんて、この場にはいない。なのに自分から言い出したことに、僕は本当に驚いたのだ。
「だから、ほれ」
僕が驚いていることに気付いているのかいないのか、あくまでもマイペースに朝倉は無理矢理サイダーを押し付けた。
「…いや、これ用意したの僕だし」
「細かいこと気にするなハゲるぞ。代金は俺が払うんだからこれも立派なプレゼントだ」
「なにその傲慢なプレゼント」
サイダーを持たされたまま、僕は笑った。
「いいからここ座って、飲め」
ここ、と言いながら朝倉は自分の隣を指した。閉店間際の店に、朝倉以外の客はいない。僕は言われるまま、隣に座った。




「今日は、あの子いいのか?」
木曜日の閉店後、朝倉は風鈴に会いに行く。夏の終わりから続くそのサイクルをすっかり覚えてしまった。
「ああ、別れようって言われたから」
組んだ手のうえに顎を乗せて、ぼんやりと朝倉は呟いた。
告げられた言葉は予想だにしていなかったもので。今日は驚いてばかりだと、頭の隅でぼんやり思った。
「…朝倉。おまえ、ちゃんと、あの子のこと好きだったか?」
何も考えず、まるでこぼれるように落ちた僕の言葉に、ぴくり、と朝倉の手が震えた。
この展開はまずい。そう危惧する心とは裏腹に、口は勝手に言葉を紡いでしまう。
「違うだろ。ただ、あの子が近づいてきたから一緒にいただけで、本当は…」
「本当のことなんてわからない」
振り払うように朝倉は言った。
「言っただろ。感情なんてあやふやなもんだって。ましてや恋愛感情なんて、ほとんど錯覚だ」
「なんでそうやって言い切れるんだよ」
「じゃあおまえは、これが恋愛感情だ、これが好きってことだ、て、はっきり言い切れるか?」
鋭利な刃物のような、4年間ずっといとおしんできたその強い瞳に見据えられて、僕は息を詰めた。
言い切れるか、だって?そんなことを、今更問うのか?
朝倉を見ていたい、その声を聞いていたい、できれば触れてみたい、ずっと一緒にいたい、自分のものにしたい、誰にもわたしたくない。
たくさんの欲望を、感情を、僕は抱えてきた。抱えて、だけど、けっして見せることのないように、心の奥底に閉じ込めてきた。
恋愛感情なんてたしかに錯覚だ。朝倉がかつて僕に言ったとおり、愛着と親愛と性欲がまぜこぜになった、あやふやな感情だ。
だけどそのあやふやなものに名前をつけるなら、「恋愛感情」しかないのだ。
こんなに汚くて激しくて、持っているだけで苦しくて捨ててしまいと思うのに、同時に、この感情を失くしたくないと思う、思ってしまう。そんなもの、「愛」でも「友情」でも「憎悪」でも「悲しみ」でもない。「恋愛感情」以外のなんでもない。




「…僕は、言い切れる。おまえが望むなら、いくらでも証明してやる。言ってほしいか?僕に」
視線を投げかけた先で、朝倉の顔が泣きそうに歪んだ。4年間一緒にいて、一度も見たことのない顔だった。
「悪い、新田。いい…言わなくていい」
弱々しく呟いた朝倉は、まるで別人だ。
「ごめん。俺は、なんでこうなんだろう。どうして俺は」
何かを言いかけて、でも言葉が見つからなかったのか、朝倉は口を噤む。しん、と沈黙が落ちた。からん。サイダーの中の氷が溶ける音が、やけに大きく響いた。なんて陳腐な効果音だろうか。ちっぽけで、残酷で、ささやかな、消えゆくものの立てる音。僕たちにはお似合いな。
僕はストローに口をつけ、ぶくぶくと音を立ててみた。空しい行為だ。どうして朝倉はこれを楽しいと言ったのだろう。
口を離す。少しだけ泡立つ水面に視線を落とす。
ふいに、桜の花びらがこの水面に落ちた、あの光景を思い出した。すべての始まりとなった、あのうつくしい光景。




「朝倉、話をしよう。本当の話を」
僕は決心した。きっと、いまが潮時なのだ。










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