中学2年生の4月、わたしはふと思い立って、学校に行くことをやめた。
朝は今までと同様に、制服を着てカバンを持ち、家を出る。だけどその日から、行き先は海になった。
テトラポットの陰で海を眺めて午前中をやり過ごし、お弁当を食べて、午後は違うテトラポットの陰に隠れて本を読み、勉強をした。両親はあまりわたしを顧みない人たちだったから、学校をさぼっても簡単にはばれなくて、好都合だった。
そんな日々が二週間ほど続いたとき、突然、彼女は現れた。
「さぼり?わたしも仲間に入れてよ」
わたしと同じ制服を着て、同じカバンを持った彼女は、だけど、見かけない顔だった。すらりと長い手足がかたちづくる長身、背中まで触れる長い髪、くっきりした目鼻立ちの顔、白い肌、そして、灰色の瞳。その容姿はあの学校という地味な空間では人目を惹くはずなのに、まったく見覚えがないということは、転校生だろうか。
「いいとこだね、ここ」
彼女はそう言って、わたしに断りもなく、わたしの隣に座った。わたしは彼女を無視した。突然の侵入者は不快だったけど、自分も勝手にこの海を間借りしている身だ。文句など言い様がない。
「わたし、エリカ。あんたは?」
そんな問いかけも無視したら、彼女は、「なんか言ってよ、ひどいな」と文句を言った。それでも口を利かないわたしに、彼女は溜め息をつき、海のほうを眺めた。灰色の虹彩は、光に透かすと、きらきらと銀色に光った。
それから二週間、彼女は毎日、わたしのいるテトラポットの陰にやってきて、わたしと同じように過ごした。一言も口を利かないわたしに苛立つことなく、話しかけてきた。自分が遠くの町からこの春に引っ越してきたこと(やはり転校生だった)、2年B組に転入した(それはわたしのクラスでもあった)けど馴染めず学校に行くのに嫌気がさしたこと、昔から、特異な色の眼がコンプレックスであること(そしてわたしのような、黒い眼が羨ましいこと)、いろんなことを話した。そして二週間が経って、それでもまだ無視を決め込むわたしに、話しかける言葉も尽きた彼女は、諦めたように黙り込んだ。
もう来なくなるかな、と思った。しかし、彼女は毎日、海に来た。そしてただ、わたしの隣に座って、その灰色の瞳で海を眺めていた。光を帯びて硝子のように澄んでいる。
見惚れていたわたしの視線に気付いたのか、彼女ははっとして、顔を逸らした。
「逸らさないで」
はじめて喋ったわたしに彼女はびっくりして振り向いたが、すぐにきつく睨んできた。
「じろじろ見ないでよ。言ったでしょう?わたしはこの眼が嫌いなの」
「どうして」
「普通じゃないから」
「普通がいいとは限らないわ。わたしはこの色、好きだよ」
「…あんたが興味あるのはわたしの眼の色だけでしょう」
「あたりまえじゃない」
彼女は目を大きく見開いた。その瞳には、悲しみがありのままに曝け出されていて。
「…ひどいね」
銀にきらめく虹彩が、淡く滲んでうつくしかった。
次の日、わたしは学校に行った。彼女は相変わらず海にいるみたいで、教室にいなかった。
彼女がいない空間は、ひどく退屈で、あの銀を帯びて光る虹彩が見たいと思った。
だから、久しぶりの学校と久しぶりの部活でくたくたに疲れた身体をおして、わたしは海に行った。
すっかり日が暮れた後の暗闇のなか、彼女はいつものテトラポットの陰にいた。足音に気付いた彼女が、のろのろと白い顔を上げる。
「学校、来なよ」
じっと見据えてくる静かな眼は暗鬱としていて、何も語らない。
「待ってるから」
夜の海は真っ暗で、空と海の境目すら曖昧だった。彼女の灰色の瞳も、黒に見えた。彼女の望む、ふつうの、黒に。
「ちゃんとわたしを見てよ」
振り絞るように彼女は言った。掠れた声は泣いているように聞こえたけど、この暗がりではそれすらよくわからない。
「ねえ。ちゃんと、わたしを見て」
縋りつく彼女を見て、わたしは、笑った。必死な彼女が無性に可笑しくて、ただただ、笑った。
俯いた彼女の向こうに、月が見えた。冴え冴えとした銀色は、彼女の虹彩に似ていて、うつくしいと思った。
次の日から、彼女は学校に来るようになった。
彼女の珍しい虹彩や、うつくしい容姿に興味を示す生徒は多かったけど、彼女はわたし以外の生徒とは親しくなろうとしなかった。
彼女に向かい合い、灰色の瞳を覗き込む。
「この眼がそんなに好き?」
そのたびに不機嫌な声で問いかけられて、わたしは笑う。
「うん、好き。すごくきれい」
「わたしは嫌いよ。この眼も、あんたも」
きっと彼女は傷ついている。それでもわたしは彼女の持つ特異な色彩を褒めることをやめない。残酷な遊びに興じる子どものように。
不機嫌な月
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